高熊山 ~木の枝と車と登山~

2021-12-18

 

伊佐市の高熊山に登って来ました。

 

 

以前伊佐市の記事でも紹介した郡山八幡(こおりやまはちまん)神社には、「焼酎」の最古の文字が書かれた木片があるということですが、この文字が書かれた一文は

「神社の建設を依頼した神主(?)が焼酎も振舞ってくれない」

という大工の愚痴だったそうです。

最古の文字の文が客に対する愚痴っていうのがまた、人の感性は今も昔も変わらないことを表しているようで趣深いです。

 

 

ちなみに、伊佐市は漫画家の井上和彦さんの出身地です。

代表作は、「スラムダンク」や「バカボンド」です。

うーん、スラムダンクは懐かしいです。

花道が地道にシュートの練習している姿が割と好きです。

 

 

それと作家であり小説家の海音寺潮五郎(かいおんじ ちょうごろう)の出身地でもあります。

名前はペンネームで、夢の中で誰かからそう呼ばれたからその名にしたそうです。不思議なこともあるものですね。

彼は、西郷隆盛についての本をいくつも書かれています。

西郷隆盛とは別に執筆した作品の中にはドラマ化したものもあります。

西郷隆盛は犬好きですが、彼は嫌いだそうです。

 

 

話を登山に戻します。

高隅山へのアクセスは、国道267号線から大口温泉高熊壮を目指していくとあとはもうすぐです。(あいまいで失敬)

 

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高熊壮の先の道で右に曲がれば登山道に入ります

登山道を車で進みます。そうです、山頂まで車で行けるのです。

しかし、先日強風に見舞われたこの山の道は、そうやすやすと私に楽をさせてはくれませんでした・・・。

 

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登山道 わざわざ車から降りて撮りました

道幅が大きい車一台分でガードレールもあまりないためスピードは出せませんが、運良く対向車もなくルンルンと登っていた私の目の前に木の枝が散乱していました。

小さいものなら踏み越えていくのですが、高さのあるものは車体を底から傷つけてしまうかもしれないので、車から降りてずらすしかありません。

 

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人が通っていない証拠でしょう

一度や二度ならず、写真のような木の枝が何本も道を塞ぎ、そのたびに車を降りては木の枝を斜面に落とし込む作業を繰り返しました。

 

 

その内に、山頂の駐車場に着きました。

この山は西南戦争の激戦地です。

駐車場のすぐそばには、ここで戦った人たちの大きな慰霊碑がありました。

 

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伊佐市の田園風景と左には霧島連山

この日は風があまりなく、天気も良くベンチの日当たりも良かったため、ぼーっと写真の景色を眺めていました。

戦争をした彼らも時折、この景色を見る余裕はあったのでしょうか。

 

少し上に登っていくと、当時の壮絶な戦いの様子が分かる弾痕を残した岩がありました。

 

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弾痕の跡地にて

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一体、何度引き金を引いたのでしょうか

近くには、ブランコがありましたが、チェーンから下の部分が取り外されていました。

場所によって公園では、巻き込み事故によって安全性が考慮され、遊具の撤去が行われているようですね。

時代の変化の流れを感じます。

 

 

散策を続けると石碑を見つけました。

新納忠元(にいろただもと)氏は島津家の家臣であり、当時山林原野であった木之氏(伊佐市大口の一部地域の名前)を開墾し田畑を作り、畜産を奨励したりと木之氏を人々が住みやすい豊かな土地にした人のようです。

伊佐市には彼の名の公園があります。

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新納忠元について書かれた石碑

 

駐車場に戻る際、もう一つの石碑を見つけました。

そこには、牛尾小学校の校歌の一部が書いてありました。

作詞は、海音寺潮五郎です。

作家であった彼の作った言葉は今も伊佐市の子供たちによって歌われているのでしょう。

 

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海音寺潮五郎の作った校歌が書かれた石碑

 

歴史の勉強になる山でした。

良い体験ができました。

ありがとうございました。